本日は「正しい心のあり方、人とのつながり方」というテーマでお話します。
メンタルの時代、これからはメンタルヘルスが求められる、とよく耳にします。
色々なニュースを見るたびに、心のあり方、人とのつながり方について「どうしたら良いんだろう?」「どうすべきか?」ということが議論されていると思います。
心のあり方、人とのつながり方というのは臨床でもよく聞くテーマです。
「どう考えたら良いのですか?」「どう人と付き合えば良いのですか?」とよく聞かれるテーマです。
僕ら精神科医は、こうした答えのないものに対してどうやって臨床で答えているのか、どういう考え方をしながら臨機応変に患者さんに相応しいアドバイスをしているのか、ということを解説します。
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感情と理性、どちらを重視すれば良い?
心のあり方や人とのつながり方は一見違う問題で、同じメンタルだけれども異質なものに思われるかもしれません。
ですが、基本的には同じような考え方でアプローチできるものです。
心のあり方はどうすればいいですか、どう考えたら良いですか、ということでよく患者さんが言うのは、本能や感情を重視したら良いのか、それとも理性的な判断を重視したら良いのか、ということです。
・不安だけれど頑張った方が良いのか?
・辛いけれど頑張った方が良いのか?
・ガンのように、頭ではわかっているけれどどうして私は身体が痛いのだろう?
・お金を稼ぐために自分が嫌なことをやっている(気持ちを無視するパターン)
どちらを重視すれば良いのか、という話であったり、
・誰の意見を聞けば良いのか?
・法律を守った方が良いのか?
・リーダーの顔色をうかがった方が良いのか?
・部下の意見を聞く方が良いのか?
という板挟みの話があります。
共通するのは何かというと、とても複雑な問題であったり、ジレンマの問題、情報や時間が足りないという問題だったりすることです。
ジレンマの問題というのがわかりやすいですが、どちらにも正解がある、ということです。
この人の立場の意見も確かに正しいし、別の立場の意見も正しい
Aという選択肢にもBという選択肢にも、どちらにもメリット・デメリットがあり、どちらを選べば良いかわからない、という問題に悩むわけです。
精神科に来て究極的に悩むというのは、答えの出ない問題、どちらを選んでも正解だし、どちらを選んでも不正解というときに「どちらが良いか?」ということになります。
どちらかを選ぶとどちらかを犠牲にしてしまいます。
そういう時に混乱してしまいます。
そのときの環境、状況や変化によって正解は異なります。
ある場面によっては感情を重視した方が良く、ある場面によっては感情を抑えて自分の理性的な行動を重視した方が良かったりします。
「痩せたい」と数字だけに一生懸命になって、自分のお腹が空いたという気持ちを無視しているから摂食障害になってしまった、ということなら、理性(数字)を重視するのではなく「食べたい」という気持ち、「甘えたい」という気持ちを重視した方が良い。
逆に自分の感情に支配されている場合、衝動的に物を買ってしまう、アルコールを飲んでしまうなどのときは、感情を抑えて理性で行動する、これを飲んだら困る、買い物し過ぎたら困るから今は我慢しよう、と理性で抑えつける。
場面によって違います。
どちらが大事ですかというときに、感情が大事だ、理性が大事だ、というものではありません。
時と場合によります。
誰を重視するのかというのも同じです。
マキャベリズムのようなものです。
リーダーというのは部下を駒のように扱った方が良い、人の気持ちではなく業績を重視した方が良い、という時もあれば、業績だけでは人の心は満たされないので、数字ではなく従業員のハピネスを目指した方が良い、と状況によって異なります。
それを臨機応変に変えていくのは難しく、また情報が全てあるわけではなく時間が迫っている中で判断しなければいけないということも困難です。
これを上手くこなせる人は上手くやれますし、上手くやれない人が段々とストレスを溜めてうつになる、臨機応変に選択肢を変えることができないと病気になる、ということです。
本能・感情は強力なアルゴリズム
本能や感情は強力なアルゴリズムです。
選択肢は少ないですが、強力なアルゴリズムです。
基本的には本能や感情に従って動いた方が良いです。
お腹が空いたら食べる、熱かったら手を引っ込める、というのは本能レベルで決まっているので、本能を重視した方が良いです。
頭で分かってからでは遅いです。
何かこれは熱い、燃えているからこれ以上やったらケガをするので手を引っ込めよう、というのは遅いです。
本能や感情を重視して動いた方が良いです。
ただそれだけでは解けない問題というものがあります。
本能や感情という単純なアルゴリズムだと解けない問題に対しては、理性を使って答えを導き出さないといけません。
本能や感情で解決できない問題を理性で解決しなければいけないので、だいたい矛盾します。
でもそれが理性の役割であり、大脳皮質の役割です。
本当のことを言うと、脳科学的には本能や感情と理性は分けることができません。
その現象は理性的なものである、感情的なものである、という風には分けられません。
デカルト的なモノの考え方はできませんが、概念としてはわかりやすいですよね。
なのでこういう使い方をしています。
実際の脳科学的にはそんなものはない、証明しにくいのだけれども、臨床的には、患者さんに説明するときにはわかりやすいロジックです。
古典物理学と相対性理論みたいなものです。
最近の悩みで言うと、やりたいことを意識した方が良いんですか、やりたいことではなくお金を稼げる方が良いのですか、将来の安定性を選べば良いのですか、と言われますが、これも時と場合によります。
状況によるので答えは出せません。
これは個人の中のジレンマだったり対立です。
集団の中での振る舞い
集団の中での振る舞い、集団の中でどうやって適応していくのか、意見が対立した場合にどっちにつけば良いのか、という話です。
人間は多様で異なります。
多様ということは何かというと理解し合えないということです。
話し合って理解し合える、話し合って相手の気持ちがわかる、ああそういうことか、そういう立場もあるよね、とわかり合えるのであれば、それは多様とは言いません。
多様とはそれくらい「話してもよくわからん」ということです。
昆虫が好きな人がいくら熱心に昆虫の話をしても、電車が好きな人が電車の話をしても、興味のない人にはよくわかりません。
そういう気持ちもあるんだろうな、とは思いますが、何が良いのかよくわからないし、話を聞いた5分後には電車や虫の名前は忘れてしまいます。
この多様性はどんどん拡大しています。
それはなぜかというと扱う情報が多いからです。
昆虫が好きな人はどんどん昆虫のことを調べていけるので、一般常識を知らなくても生活できることが多くなります。
そうすると昆虫のことに集中するので、生まれ持った違いがより拡大していくというのは現代の特徴だと思います。
昔であれば火のおこし方は一般常識でした。
お米の作り方も、ウサギの採り方も弓矢の引き方も一般常識で、男なら全員知っておかければならないという共通の知識、一般常識だったと思います。
この一般常識はどんどん減っています。
僕なんて火のおこし方はわかりませんし弓矢もわかりません。
車の運転だって免許こそ持っていますが、ほとんどペーパードライバーです。
つまり、脳の中に収められている体験や知識のバリエーションがどれだけあるのか、ということです。
それだけ異なる価値観になってきている、ということです。
にも関わらず、共同体が運営されていることは不思議です。
選挙を見ていて思いましたが、同じ日本人でありながらこんなにも意見が違い、価値観が違うんだなと。
どうしてこんなに考えていることが違うのに、社会が機能しているのだろう、同じ群にいられるのだろう、ということは時々すごく不思議に思うのですが、これも考えてみると、人と自分は違うという感覚が無いからなのです。
同一なんだ、相手も自分と同じようなことを考えている、同じ仲間だという幻想があるので共同体として機能しているので、相手は自分と違う、という当たり前といえば当たり前の事実を強く認識したり、味方ではないと思うとこの共同体は壊れてしまいます。
ですから、共同体、社会というものは結構危ういものです。
これから格差が拡がったり分断が進み、自分たちは仲間だという意識が薄れると共同体は壊れます。
一緒だということ、同一であるという幻想があるということなので、僕らは無意識的に相手は自分と同じことを思っているというバイアス、プログラムが入っているため多様性がわからないということでもあります。
正しい心のあり方や人とのつながり方というのはその場によって違いますし、いつもジレンマが伴い判断に迷う選択肢なのです。
これが正解だ、というものはありません。
このことに気を付けながら、自分にとって最適なものを選んでいくことが重要なんだろうなと思います。
今回は、正しい心のあり方、人とのつながり方、というテーマで精神科臨床での話をしました。
ジレンマを明らかにしたり、何か勘違いがあったらこういうことなんだよと伝えることで、患者さんが合理的な判断ができるように手伝っていくことが精神科臨床です。
前向きになる考え方
2022.7.22