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うつ病の長所、発達障害の長所を知る

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00:00 OP
01:02 うつ病の人の良いところ
02:29 発達障害の人の良いところ
03:30 人間は多様性がある
05:53 運・不運の問題
09:49 ニューロダイバーシティ

本日は「うつ病の人の良いところ、発達障害の人の良いところ」というテーマでお話しします。

ちょっとした雑談です。
雑談をさせてください。

僕は精神科医として日々臨床をしているのですが、ちょっと精神医学オタクみたいなところがあって、そういうことを考えるのが好きなんです。
精神医学的なことや脳科学的なこと、社会学的なこと、何でもいいのですが、色々考えるのが好きで、モヤモヤするのが好きです。

例えば、うつ病の人ってどういう良さがあるのかな、発達障害の人ってどういうところが欠点でどういうところが長所なのかな、ということもよく考えたりしています。

うつ病の人の良いところ

うつ病の人の良いところを考えたとき、色々な性格の方がいて、同じうつ病と言っても色々な人がいます。
色々な価値観や考え方、色々な理由でうつになってしまうのですが、うつ病になりやすい人で多くいるタイプは、自分の健康よりも仕事を優先する人です。

辛いときに、なんかもう嫌だなと思ってサボってしまう人ではなく、辛いときにもっと頑張ってしまう、頑張れる人たちが多いです。

自分の健康よりも仕事をしっかりやること、上司の人や職場の人から言われたこと、部下から言われたことに真面目に100%やってしまう人が多いです。

うつ病は人口の1割くらいが生涯で一度は体験するもの、と言われたりもします。
考えてみると人類の1割は自分の健康よりも仕事に専念する人たちなんだな、と考えると面白いです。
そこが長所でもあるし、やりすぎると欠点にもなるということなのですが、なかなか考えさせられるなと思います。

発達障害の人の良いところ

同じように、発達障害の人はどうなのかなと思うと、良いところとしては、他人を気にしない行動力、というのがあります。
他人というのは、実際の相手の表情、実際いる人間だけではなく、評判やお金、地位や名誉、そういうのも含みます。

他者からの評価を気にせずにやりたいことをやる、自分の好きなことをやる。
結果よりも何かやりたいことをやるということ、その興味の偏りと行動力、ADHD的な行動力、過集中というのはやっぱりすごいです。

発達障害の人もグレーゾーンを合わせると7~8%いると言ったりしますから、こちらも1割というか、人類の中の1割は、相手に影響されずに自分のやりたいことをやってしまう人たちともいえます。
何か面白いなと思います。

人間は多様性がある

人間は同じような脳を持っています。
人間として同じ脳を持っていますが、特性が違ったりします。

同じようなものの集まりではなくて、多様性があるのです。
どうして多様性があるのかというと、結局絶滅しないためです。
あとは群れとして進化するために色々なパターンを入れています。
色々なパターンを入れることによって、環境変化に合わせて誰が生き延びる、誰が評価されるなどが変わってきます。

究極的に言ったら、例えば原始時代を想像してほしいのですが、食料がないときに子どもの食料を奪って自分が食べる大人と自分の食べ物を渡してしまう、渡して自分は餓死しますが、子どもに食べさせる人間がいたと思います。
どちらが生き延びるのかということです。
どちらが生き延びることに成功し、どちらがより子孫を増やせたのかというと、場合によるのだと思います。

これは思考実験だし、「いやいや益田は歴史的なことを知らないの?」「昔は子どもも間引いたりしてたんだよ」と言われそうですが、あくまで思考実験の話で、必ずしも現代的な価値観で正しいとされるものが全て正しいわけではないのです。
そのための思考実験です。

人間には脳の多様性があり、色々な人、色々な性格の人がいて、一見悪いと思われるもの、自己中心的だと思われるものや悪く評価されるものもあれば、逆に自己犠牲的で良いとされているものもあります。

ただ、どれが本当に良いのか。
長い目で見たときに、人間が生き延びる、動物として生き延びるときに、群れとして生き延びるときに、どういう特性がどれぐらいの割合で多いのが良いのか、というのは全然わかっていません。
色々やっているのでしょう、神様というか、遺伝子というか。

運・不運の問題

僕らは俯瞰的に考えていって物事を捉える必要があります。
それは科学によってわかってきたことでもあり、人間というのはそういう動物たちなのです。
だから運、不運があるということです。

生まれ持った違い、才能の違いなどは、本人の力ではどうしようもない運・不運というものがあります。
うつ病になりやすい人の性格、自分の健康を犠牲にしてもミッションをやろうという性格の人は元々そうなのです。

僕は絶対嫌ですし、テスト前ですらちゃんと寝ます。徹夜で勉強しないですから、テスト前でも。心折れちゃうんですけど。
「これって自分が悪いのかな?」と思いつつ、悪いのではなくて、元々無理しなくてもできる人もいるし、逆にそういうものなのです。

でも、こういううつの人たちに対して、すごく頑張っている人だからこそ、「怠けてる」とか「いい加減にした方がいいよ」というアドバイスがすごく苦しかったりします。
自分のことを全部否定されたような感じがしてしまいます。

僕みたいに、究極的に言ったら辛いときはサボる人間は、「怠けた方がいいよ」と言ったら、「そりゃそうだろうな」としか思わないというか、「そりゃそうだろ、当たり前のこと言うなよ」と思ってしまうのです。面白いよね。

発達障害の人が他人の目を気にしないというのも、僕もAS特性やADH特性がありますから、益田は人によって態度を変えないし、益田はそういう自分の思ったことをちゃんとやるから偉いよね、と言われても「そうなの?」みたいな感じでよくわかりません。
やりたいからやってるというか。

YouTubeも、毎日やっててすごいですよね、毎日ネタがあってすごいですよね、と言われるのですが、全然大変じゃないんです。
「いや別に、ちょっとやればいいんじゃない」と思っていて、全然気にならないというか普通にやれます。
お金にならないのによくやるね、と言われても「まあ、でも他にやりたいこともないしな」みたいな感じで、全然気にならないです。

こういうのも含めて、才能と言ったら言葉がきれいなのですが、そうではなく特性だったりします。
でも逆に言ったらそれが弱点でもあって、人が大事にしているものを僕も大事に思えないというのは、すごく相手をバカにしているような感じがするみたいです。

お金、地位、名誉、色々なものが、僕は究極的にはどっちでもいいと思ったりもします。
相手の趣味に対して関心がなかったりするから、気を付けていますが、どこかバカにしてるような感じになっちゃうといけないな思いながら、でも本当に他人に興味がないから、そういう雰囲気になってしまうこともあるみたいです。

だから「ウヮーッ」とかならないです。
有名人や偉い人を見ても「ウワッ!」とならず、普通に接してしまって、それが何か感じ悪いみたいです。
感じが悪いときもある、という感じです。

運不運もあるし、これが生まれ持った能力だけではなくて、親の代から引き継いだもの、文化的なものや社会的なもの、どこで生まれたのか、どういうタイミングで誰と出会ったのかも含めると、ますます自分の能力や自分だけの問題じゃ済まないよ、ということかなと思います。

ニューロダイバーシティ

こういう脳の特性の話、長所と欠点の話を考えていくと、ニューロダイバーシティみたいな話になっていくわけです。
人間には多様な脳があり、それぞれにそれぞれの価値があるから互いに尊重し合おうよ、ということなんです。

人間というのはずっと差別と偏見の歴史に支配されてきました。
一番最初の差別、偏見は身分や階級です。

人類は食べ物が足りなかったので、いっぱい食べてもいい人といけない人、危険な仕事をする人と安全な場所にいる人、という風に分けられるようになっていました。
それが身分社会の始まりで、身分や階級ができあがった。

でも、だんだん豊かになっていくにつれて身分や階級はよくないよね、という形で廃止され、人種の問題や男女差別の問題に移っていきました。

人類は、肌の色が違う、住んでいる場所が違う、言語が違う、カルチャーが違う、ということで自分の敵だということで実際争っていましたから。食べ物をめぐって争っていました。
他民族と争ったり、戦争したり。
戦争するために差別をしていたりしたのです。

同じように男女差別もありました。
力が強い人が、力が弱い人を支配する。
でもこれはもうやめていこうよ、ということになっています。
もっと平和に行こうよ、ということで変わってきています。

それは言語を超えても仲良くできるというか、文化交流が増えて相手のことを理解するきっかけが増えたのです。
移動もしやすくなったからそうなったというのもあるし、男女の問題も、女性も子育で大変だったのが、子育てが楽になってきて働けるようになってきたり、社会参加しやすくなったからということで、ここら辺の差別や偏見は減ってきているということになります。

LGBTQですね。
これも脳の特性の話にどんどんなっていくんですけれども、生まれつきとはちょっと違うという意見もありますし、文化的に作られている要素もあり、先天的な要素もありますが、性的マイノリティの人たちは一定数いるということです。
1割ぐらいいるのかな、1割を切るぐらいいるのだと思います。もっといるかな?
1割ぐらいいるのですが、そういう人たちもいるよ、ということです。

彼らの特性も認めていった方がいいんじゃないのということになって、ここ10年、20年くらいで、どんどん社会的な認知というか受容、差別や偏見も減ってきたのではないかと思います。

次は何かというと発達障害です。
ASD、ADHD、LD、プラスα精神疾患の人たちへの差別や偏見、そしてその特性の理解というのを進めていこうということになります。
それを脳の特性があるよね、ということでニューロダイバーシティと言ったり、ニューロダイバーシティ運動と言ったりします。

こういう特性があるからこそ変化が生まれ、社会はより良くなっていくのです。
ドライブになっていく。

みんながみんな他人のことばかり気にしていたらイノベーションは起きないし、息苦しくなってしまいます。
皆が仕事よりも自分のことばかり優先していたら、やはり上手くいかないことも多いと思います。

色々な人がいて良いし、色々な人がいないと上手く行かないのですが、いいとこ取りだけするというのは良くないよねということで、やはりこういうマイノリティの人も助けていかなければいけないということです。

では働ける発達障害の人だけ助ければいいんだろう、ということになるのかもしれないですが、そうではなくて、やはり運・不運の問題もあるので、もっと広くみんなで許容していこうということになります。

ただ、こういう歴史背景もあると、本当に困っている人たち、差別されている人たちだけが声を上げていたら、やはりニューロダイバーシティ運動はうまくいかないと思います。

働きながら治療している人。
特性はあるけれど社会的な障害はない人たちが、やはりちょっと声を上げていくことしかないんじゃないかなと思います。

実は隠れたマイノリティだということを表明していくことで、LGBTQの人たちがやってきたようなこと、そういうことで差別や偏見を減らしていけるのではないかなと思っています。
これがクールだ、格好いいな、という風に文化社会が変わっていけるのがいいんじゃないかなと思います。

結局、Twitterなど色々見たり、色々な意見を見て思うのですが、我々の直感的なもの、本能的なものが全て正しいかというと、そういうわけではありません。
私はこう思う、私はこうなんだ、自分はこう思うんだよ、という意見を言うのは大事なのですが、ただ感情や本能にまかせて出た言葉の価値がどれぐらいあるのか、というのはよくわからないです。

やはり理性や文化制度、社会、言語、そういう理性的なものが人間の暴力性や本能を抑えてきた。そして人間たちをより生きやすくしてきたということがあるので、やはり理性的なものが本能を抑えてきた歴史というか、そういうものがありますから。

直感的には、なぜ弱い人を認めるんだ、そんなことをやっていたら社会が崩壊してしまうのではないか、弱い人を助け続けたら僕らまで貧しくなってしまう、足を引っ張られるだけなんじゃないか、会社が潰れるんじゃないか、と思うのですが実際は違います。
そこを理解しつつ、できればニューロダイバーシティ運動を頭に入れて行動してもらえればなと思います。

とにかく病気で卑屈になってる人は多いと思いますが、本当に長所と欠点は裏表ですから、あまり自分の欠点ばかりに目を向けず、ひっくり返せば長所に変わるので。そんな思考で毎日生きてもらったらいいんじゃないかなと思います。

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2022.10.1

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