今日は「雑談」についてお話ししようと思います。
ここ1週間くらい雑談について考えることが多くありました。ひとつには「テレワーク疲れ」を訴える患者さんが本当に増えたことです。一人暮らしの人だと会話をする機会も減り、オンライン飲み会も白けてしまって全然やらなくなり喋る相手がいなくてつまらないという話を聞きます。病気の重い人、軽い人、不眠症の人も同じことを言います。
もう一つは、僕は仕事の行き帰りに音楽を聴いたりしながら歩いているのですが、最近はVaundyさんという肩のnaporiをいう曲をよく聴いています。20歳くらいの若い人が作っているのですが歌詞が沁みるのです。
こんな夜には コーヒーがいいだろ
そんな僕の横で ハイボールをひと口
コーヒーを飲んで雑談をする日常感と、それが失われている感じが時代に合っていると思います。これはラブソングでもあるのでなんだか色っぽい歌詞なんです。
そもそも雑談とは
雑談を「テーマを決めず、対面で会話をすること」と自分なりに定義してみました。
対面であることの良さは、相手の仕草を見ながら会話の緩急をつけられることです。相手の仕草を見ていてつまらなそうにしていたら話題を変えたり、理解してなさそうだったら細かく説明したり、理解していそうだったらポンポンと話を進めたりなど変化をつけられます。
対面の対話でないとどうも一方通行になりがちですし、変に誤解されたりしますが(YouTubeや文章も)、それに比べると対面の会話は伝えやすいと思います。喋っているときも、このテーマなら相手は大丈夫そうだなとホッとしながら喋ることができます。
また、テーマを決めずに喋るのも良いのかなと思います。「こういう内容で話そう」ということではないのでプレッシャーが少ないです。
そこには自己開示の要素が含まれます。自己開示といっても「私はこういう人です」と話すのではなく、「私が好きなのは〇〇」「僕が最近感じたのは〇〇だよ」といった話題は承認欲求を満たしてくれます。オタクっぽい言い方をすると「推しは尊い!」みたいなことを今の人は言います。そうすると周りの人は「うんうん、そうだよね」と共感してくれるので嬉しいなと思えます。これは雑談の良さです。このような雑談がないのは色々と問題があるというか、つまらないものです。落ち込みやすくなりますし。
テレワークでの雑談
テレワークの時に雑談をどうすればよいか、これは結構難しいです。画面越しに喋るのはトーク力も問われますし、プレッシャーを感じてしまいます。カメラ越しだと細いところがわからないので、打ち合わせのための時間を取っているけれど会議とは関係ない雑談をしてしまったら相手に迷惑じゃないかなどと考えてしまいます。そもそも対面でも「あれ、喋りすぎたかな?」と思うのにカメラ越しだと余計にそう思ってしまいます。
今までならば会議の前後に雑談があり、会議というストレスのための準備やフォローができました。終わった後の雑談は飲み会ということもありましたが、そのようなクッションがあることでストレスフルな会議を緩和させていた要素もあったのだろうと思います。
じゃあ雑談があった方が良いのかというとそれは別で、調子が良いときは仕事の話だけパッと終わらせて自分の好きなことに時間をあてたかったりするのですが、調子が悪い時は雑談をしながら承認欲求を満たしたい時があります。相手が雑談に付き合えるテンションかどうかを見極めないといけないのですが、それがカメラ越しだとなかなかわかりにくいです。
雑談は大事ですよね。テレワークや多様化の時代になると共通の話題で雑談をするのも難しいなと思います。