今日は「自分の命になぜ価値があると感じるのか」をテーマにお話しします。
前回、「猫の命と自分の命はどちらが価値があるのですか?」「自分の命に価値はないと思っているのですが、先生はどう思いますか?」など、臨床上のやり取りの話をしました。
今回も同じようなテーマでお話しします。
前回の動画
https://wasedamental.com/youtubemovie/4897/
患者さんには、自分の命や人生に価値があるとあまり感じられない人が多いです。
僕ら精神科医にとって、彼らの命には価値があり、人生には意味があるということに気づいてもらうのが1つのテーマでもあります。
実際どのようなことをしているのかを、
・動物的な自分
・身内的な自分
・社会的な自分
の3つに分けてお話しします。
コンテンツ
動物的な自分
まず「動物的な自分」から考えてみます。
単純に言うと、本能的にプログラムされています。
理屈ではありません。
生きものは「自分の命には価値がある」という前提でプログラムされて生きているので、障害がなければ自分の命には価値があると思うものです。
食欲や睡眠欲など生きるための欲望があるということは、命に価値があるから存続させようとするあらわれでもあります。
うつ病などの病気の時には、「自分は世界で一番価値がない」「自分は他人に迷惑をかけている」「自分が休んだら会社に迷惑をかけてしまう」と言ったりします。
それは、病気になってもなお「自分には価値がある」とプログラムされているからかもしれません。
あなたがいなくても仕事は回るし、世界一という称号さえないというのが普通に考えたらわかるのですが、病気の時には「自分第一本能」がより顕著になります。自分を責めているようで、ナルシスティックな部分があります。
これは本能的にプログラムされているということです。
人間はそういう風になっています。
治療をして健康的になっていけば本能が勝ってくるので、放っておいても自分には価値があると思えます。
病気が落ち着けば、基本的には自分の命の価値を疑うことはないというのが1つの原則です。
身内的な自分
幼少期の育てられ方にも関係があるのですが、「大事に扱われるのを見ている」ということがあります。
自分が親から大事に扱われてきたから自分には価値があるというのもありますし、そう扱われていなくても親は子どものことを価値があると思って扱っています。
周りの人を見ていても、だいたいの人が「自分には価値がある」と思って活動しています。
「自分には価値がない」と思いながら活動している人はほとんどいません。
ですから、ミラーニューロン的に「あの人は自分に価値があると思っている、あの人と同じ人間だから自分にも価値があるのだろう」とだいたい思います。
つまり、学習し直せば基本的に価値があると思えます。
「お前には価値がない」と言われ続けたとしても、もう一度学び直すことによって自分には価値があるとわかるようになります。虐待されていてもわかってくるようになります。
健康的な治療者(医者、看護師、心理士、作業療法士、支援員など)との交流の中にいれば、自然と学んでいきます。
社会的な自分
社会(他者)に価値を提供している、お金を稼いでいるなど。
お金を稼いでいなくても、デイケアで誰かに親切にしているなど何かしらの「仕事」を提供していれば価値を感じられます。人それぞれそのラインは違いますが。
「他者」や「価値」ということを吟味していけば、まったく世の中に影響を与えていない人、まったく価値を与えていない人というのはあり得ません。そこで自分の価値に気づきます。
このラインは難しいですが。
なぜ自分が価値を提供できていると思えないのかというと、
・未熟さ(経験のなさ、他者や価値の定義が貧弱)
・発達障害(他者や社会を理解していない)
・倒錯(こじれている)
といったことがあります。
いろいろなことを考えながら大人として成熟していくと、お金を稼ぐことだけが社会に価値を提供しているのではないのだとわかりますし、他者にもいろいろな形があることがわかっていきます。
人によって治療の進み方は違いますが、概ねこのようなことを考えています。
内省の広がりや想像力が豊かな人もいれば貧弱な人もいますし、横に広がるだけで深まらない人もいれば、一点突破で狭い範囲で深く入ってしまう人もいます。患者さんごとに合わせて内省を深めていくようにしています。
そこのバランス感覚というのは、治療者のバランス感覚でもあるし、患者さんのバランス感覚でもあります。
今回は、自分の命になぜ価値があると感じるのかということを、臨床的な視点からお話ししました。
前向きになる考え方
2021.8.22